水曜祈り会の聖書の学び

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 聖書の遺跡を巡る17 ミレトス

 パウロが第三回目の伝道旅行からの帰りに立ち寄り、エペソ教会の長老たちと会った町、ミレトスを訪ねます。

 ミレトスの近くにある古代ギリシャの都市、アレキサンダー大王が気に入ったと言われるプリエネの遺跡も見ます。

 

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 聖書の遺跡を巡る15 エペソ

 パウロが第二回目の伝道旅行で最後に立ち寄り、第三回目の伝道旅行で三年あまりを過ごしたエペソ(エフェソス)の町。世界遺産に登録され、一般の観光地としても有名なエペソの遺跡を訪ねます。

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 聖書の遺跡を巡る14 コリント

 パウロが第二回目の伝道旅行で最後に伝道したコリントの町。ケンクレアの港、コリント運河、パウロが訴えられて引いて行かれた法廷、アフロディーテの神殿が立っていたアクロポリスなどを見ます。

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 聖書の遺跡を巡る13 アテネ

 パウロの第二回目の伝道旅行でベレアでの迫害を逃れて来たアテネ。町が偶像でいっぱいなのを見て憤りを覚えたパウロが哲学者たちと議論を交わした広場や、福音を演説したアレオパゴスの丘などを見ていきます。

 

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 聖書の遺跡を巡る12 ベレア

 パウロの第二回目の伝道旅行で訪れたベレアは、テサロニケに次いで大きなマケドニア地方の主要な町でした。パウロが訪れ、そこで多くの人たちが福音を受入れたユダヤ人会堂は、現在のユダヤ人会堂と同じ場所にあったと思われます。現代にいたるまでベレアに住み続けていたユダヤ人たちは、第二次世界大戦中にホロコーストの犠牲になるという悲劇に見舞われました。

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 聖書の遺跡を巡る 11 テサロニケ

 パウロの第二回目の伝道旅行で訪れたテサロニケはギリシア、マケドニア地方の主要な町でした。現在ではアテネにつぐギリシア第二の大都市で、パウロの当時の遺跡は近代都市の下に埋まったまま。テサロニケ人への手紙で知られるように、パウロの伝道後、テサロニケの教会はギリシャ中にその信仰が知れ渡るほどに成長していきました。当時の教会の栄華をしのばせるビザンチン時代の聖堂の数々が世界遺産に指定されています。

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 聖書の遺跡を巡る10 アンピポリス、アポロニア、ニコポリス

 パウロの第二回目の伝道旅行でピリピからテサロニケへ向かう途中に通過したアンピポリスとアポロニアの町。そしてテトスへの手紙の中に書いてある、パウロが冬を過ごした町ニコポリス。聖書にそれぞれ一度しか出てこない町ですが、非常に興味深い歴史的背景を持った町であることがわかります。

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 聖書の遺跡を巡る9 ピリピ

 ギリシャ、マケドニア地方の主要な町であったピリピの町の遺跡を訪ねます。紫布の商人リディアの救い、パウロの投獄などの場面を見ていきます。ピリピという町の名前は、アレキサンダー大王の父親であるフィリッポス2世の名前から付けられました。

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 聖書の遺跡を巡る8 トロアス

 今のトルコにあったトロアスの町からパウロは第二回目の伝道旅行でヨーロッパへと船出をしていきました。かつてトロアスの町は、イスタンブールと並んで新しい東ローマ帝国の首都として候補に上げられるほど繁栄していました。パウロが伝道旅行でしばしば訪れた、当時の主要な港町であったトロアスの遺跡を訪ねます。

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 聖書の遺跡を巡る7 パウロの出身地タルソ

 タルソの町はパウロの出身地で、パウロが改心した後にタルソにいたところをバルナバによってアンティオキア教会へと迎えられ、そこから三回にわたる伝道旅行に出かけて行きました。

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 聖書の遺跡を巡る6 アタリアとその周辺

 パウロとバルナバは第一回目の伝道旅行を終えて、アタリアから船出し、シリアのアンティオキアへ帰って行きました。アタリアのビーチは現代ではトルコ有数のリゾート地として知られています。サンタクロースのモデル聖ニコラスの教会や、近くの山にある珍しい「燃える岩」も訪れます。