6月!梅雨がやってきますね~☆
じめじめ、ザーザーはうっとおしい季節ですが、この雨がないと夏を凌げないのもまた事実。
視点を変えて、明るい気持ちで乗り切りましょう!
私が東京基督教大学で学んでいた頃、尊敬する教授陣の中に、ある「名物教授」がいました。
その教授は一見、「ん?!」とビックリするような発言をするのですが(笑)、
その教授の言葉の裏にはちゃんと真意と根拠があるので、私は毎回教授の授業が楽しみでした。
語られる言葉を考察するたびに、新たな発見や、新鮮な気持ちを与えて頂いていました。
その教授は、いわゆる「天才」タイプで、嘘か真か、それはもう様々な逸話を持っているのですが(そのどれもが面白い)、
私が聞いた話の一つを紹介したいと思います。
ある学生が、ある時その教授にこのように言ったそうです。
「先生は天才だから、凡人の僕の気持ちがわからないんです‼」
この言葉は、とっても人間的な言葉ですよね。
言葉は違えど、「あなたは私の気持ちをわかってくれない!理解してくれよ!」
という誰もが心の奥底に持っているであろう叫びだからです。
これに対して、その教授はこの学生に淡々とこう返しました。
「じゃああなたは、天才の私の気持ちがわかるのですか?」と。
なんというオウム返し‼
私はこのエピソードを聞いていかにもその教授らしいなぁ、と大笑いしたのですが、同時にはっとしたのです。
天才だろうが、凡人だろうが、誰しもが他人に理解されない一面をもって生きているのだなぁ、と。
私たちは自分の事については敏感であっても、人の気持ちには鈍感な者です。
じつはこの話をブログに書こうと思ったのには理由があります。
私はフィリップ・ヤンシーが書く本が好きです。彼の著書はいつも私に「クリスチャン」である事のチャレンジと、
大きな気づきを与えてくれるからです。
その中の一冊、「神に失望した時」を読んで、冒頭の教授の話を思い出しました。
この本の第一章で、ヤンシーは自分の本棚には人間のジレンマを語る本がいっぱいあることを語っている箇所が
あり、その数々の本を前にこのように思った、と語っています。
「だが、どれも同じ見方しかしていない。「人間とは、こんな思いを味わうものだ」と。神に失望した人も人間的な見方しかしていない。なぜ神は不公平なのか、沈黙しておられるのか、隠れておられるのかと問うとき、実際はこう尋ねているのである。なぜ神は私に不公平なのか。なぜ神は私に黙っておられるのか、そして私から隠れておられるように見えるのか。」
ヤンシーはこの事に気が付いたとき、新たな視点を持ちました。
自分の実存的な疑問や個人的な失望をひとまず置いて、神の視点で聖書を読もう、神は何を語っておられるのか、と。
そして数週間小屋にこもり、「新たな視点」をもってもう一度聖書を最初から最後まで読んだのです。
そして彼は1章の最後でこのように語ります。
「これまで自分の感情にとらわれすぎて、神の感情に注意深く耳を傾けていなかった」と。
そうして彼は「神とはどのような気持ちを味わうものなのか」という疑問の答えを探すことになります。
これは第一章のごく一部の内容なので、続きが気になる方は是非この本を手に取って欲しいと思います。
クリスチャンでも、そうでなくても、全て人におすすめします。
私が今ここで言いたいことは、一つです。時代にも、人によっても変わる事のない神の言葉、
聖書の「真理」に耳を傾けてみて欲しいのです。
神につまずいている人、聖書を読みましょう。自分の感情や疑問ではなく、神の視点で。
聖書を通して、私たちに語っておられる神様に、出会えますように…。
あなたには、神の気持ちがわかりますか?
白線部引用:フィリップ・ヤンシー著、山下章子訳 「神に失望した時」 P60、61