昨晩、アメリカから訃報がもたらされました。レナード先生が天に召されたという知らせです。97歳の齢を全うされて天の御国へと凱旋されました。オレゴン州のご自宅で、奥様であるフラニー先生と、息子さん夫婦に看取られて最後の息をひきとられたとのこと。
数か月前からお歳ゆえに身体が弱っておられたとのことですが、ここ数週間でさらに衰弱され、日本時間で1月29日(土)の朝、ついに天に召されました。
レナード先生は太平洋戦争中フィリピンにて従軍し、日本軍と戦い、日本の敗戦後はアメリカの進駐軍としてマッカーサー元帥と共に来日。敗戦後の困窮に苦しむ日本の惨状、日本人女性がアメリカ兵に娼婦として自分の身を買ってくださいと懇願する姿に衝撃を受け、日本人に福音を伝えるために宣教師として戻って来ることを決意。神学校を卒業後、結婚されてお二人で日本の地に、しかも、当時は陸の孤島と呼ばれた辺鄙な奥能登伝道のため石川県に来られました。輪島、宇出津、門前において伝道し、救われる人々が起こされ、その中から伝道者たちが生まれ、さらに教会開拓の働きが拡大し、七尾聖書教会と共に1965年に聖書教会連盟が結成されました(現在11教会)。
1950年代、60年代は天幕伝道といって、町の広場にテントを張って聖書講演会をすると、多くの人が話を聞きにやって来た時代だったそうです。私がレナード先生とお交わりを持つようになったのは今から45年前。決して流暢とは言えない日本語で話されるのですが、そのお話は不思議と魅力のある、キリストへの純粋な愛を感じさせる先生でした。日本語の習得はどの宣教師も日本に来て苦労することですが、レナード先生には有名な逸話が残されています。能登で訪問伝道をしていた時、あるお宅で福音を伝え、その家のご主人に「あなたが救われるのをツマが邪魔をしています。あなたはツマを取り除かなければ救われません!」まあ、「ツミ(罪)」と「ツマ(妻)」を間違えていたのです。ところが、それを聞いたこのご主人、「うん、まったくだ」とうなずいたとか…!
50年にわたる日本での働きから引退されて20年あまりが経ちましたが、アメリカに帰られた後も毎年のように来日され、これまでご自分が関わってきた諸教会と信徒たちを励まし続けてこられました。2014年には内灘聖書教会にて、レナード先生ご夫妻の宣教60周年の記念感謝会を教会の「レナードホール」でお祝いしたのも懐かしい思い出です。
この地上での生涯を能登・金沢での伝道に捧げてイエス・キリストに仕えられたレナード先生。日曜礼拝の報告でこの訃報をお知らせした時には、礼拝堂のあちらこちらで涙する方々の姿が見えました。多くの人にキリストを紹介し、多くの人をみ言葉によって養い、多くの人を愛し、多くの人に愛された伝道者生涯でした。今、栄光の御国に凱旋されたレナード先生を、イエス様は「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と両手を広げて迎え入れてくださったことでしょう。
再び天の御国で再会する望みを抱きつつ、しかしこの地上に残されたフラニー先生、またご遺族の上に慰めが与えられますようお祈りください。(2022年1月30日)