皆さん、「重力」という言葉をご存知でしょうか?
理科で習ったっけな~とぼんやり思う人も居ると思いますし、理系の人なら嬉々として解説を始める事でしょう笑
個人的には美意識の高い女性たちはだれより重力を意識していると思います。(例:最近顔がたるんできたわね…)
重力とは、地球上の物体に働く地球の引力(万有引力)と地球の自転による遠心力の合力。
簡単に言うと、地上で物体を地球に引く力として認識された基本力の一つ。
つまり立っているだけで、地球に引きつけられている私たち。
しかし「物体」に対するこの言葉、実は物体じゃないものにも働いているのです。
それは、「霊的重力」
以前祈り会で酒井師のメッセージの中から生まれたこの言葉。
わたしたち人間は、ほっておくとその罪ある性質ゆえにどんどん神様よりも自分の思いを優先するようになります。堕落していきます。
それが「霊的重力」
聖書の中にも、この霊的重力の恐ろしさが多々語られています。
例えば、
創世記6章5節「主は地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった」
創世記6章11節~12節「地は神の前に堕落し、地は暴虐に満ちていた。神が地をご覧になると、見よ、それは堕落していた。すべての肉なるものが、地上で自分の道を乱していたからである。」
創世記だけじゃなく、出エジプト記でも、申命記でも、そのほか多くの聖書の箇所に神様を忘れ、堕落して生きる人間たちの姿がでてきます。
なかでも、士師記なんかもうまさにその繰り返しを見せられる所で、
①神様を忘れる
↓
②堕落し、それぞれが自分の目に良いと見える事を行う
↓
③神、心痛め、怒る。そして裁く
↓
④民、悔い改めて立ち返る
↓
⑤また神を忘れる…と延々と①~④と同じループを繰り返しています。
通読しようとする人は、またこのパターン?ええかげんにせえよ、と、しんどくなりますが、他人ごとではありません。私たちも同じなのです。
ほっておくと自分の楽な方、心地良い方、快適な方、都合の良い方に引っ張られます。欲望こわ…。これぞ罪の性質。
おそるべし、霊的重力!
霊的重力に負けない秘訣は日々のデボーションであったり、祈りであったり、つまりは神様との時間が大事、という事です。
コロナ自粛で「お家時間!」と叫ばれる今日、皆さんの時間を神様と共に使って下さい。