先日、大切な神の家族であったおじいちゃんが天に召されました。

高校生の頃にこのおじいちゃんを見て、御霊の実みたいな人だなぁ~と思った事を覚えています。

車に乗ると少し人格が変わったりもしましたが(笑)、信仰の大先輩として尊敬していました。

私の高校時代もしかり、最近の高校生にもちょくちょく声をかけてくれて、かといって自語りをするでもなく、

話すとあったかくなる、そんなおじいちゃんでした。

そんなおじいちゃんを偲ぶ会は、悲しみよりも暖かさに溢れていました。

キリスト教は、”天に召される”という言い方をするのですが、この召されるという表現、

Googleの辞書に「神の世界に招かれる意、死」と書いてありました。なんか、希望がありますね^^

おじいちゃんはご自分の葬儀で歌う曲もご自分で選曲し、讃美いっぱいの中、多くの兄弟姉妹に見守られながら神様の元へと一足先に旅立ちました。

ビリーグラハムも、残された家族に「(死んだら)私はもっといい場所にいく」といって召されていきましたが、

このおじいちゃんが若い頃いのちを絶とうとしている中でイエス様に出会い、そして長寿を全うした事を思うと、

正しく死への備えをして神様の元に召された事が、残された私たちの慰めであり平安です。

よくキリスト教の葬儀は希望がある、とか、雰囲気が良い、と言われますが、聖書にはこんな御言葉があります。

【祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。】

死ネタがタブーとされる日本の価値観で読むと、「何ちゅうこと言うんや!」と思われるかもですが、

キリスト教にとってはそもそも死ネタはタブーではない。むしろ希望にみちているのです。

そんな事いってもそんな不謹慎な…と思われるかもしれません。でもこの御言葉には前後があります。

"名声は良い香油にまさり、死ぬ日は生まれる日にまさる。
祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。
悲しみは笑いにまさる。顔が曇ると心は良くなる。
知恵のある者の心は喪中の家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。"
伝道者の書 7章1~4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
 
どうでしょうか?
 
全ての人は、例外なく死にます。その時、あなたは希望に満ちた死の中にいるでしょうか?それとも…

 

 

 

 

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