皆さんこんにちは!内灘聖書教会スタッフのKです
秋まっさかり、皆さんはどのようにお過ごしでしょうか?
教会の廊下はひんやり、しかし日の当たる部屋はとても暖かく、眠気を誘ってきます…
さてさて、今回は聖餐式について、書こうかなーと思っています。
聖餐式というのは、別名「主の晩餐。」これはクリスチャンでない方も聞いたことがあるかと思います
イエス様が十字架にかかる前の晩に弟子たちと夕食を共にしたときの絵は有名ですよね~
ただ、絵では椅子に座ってテーブルの上のものを食べていますが、実際は当時の食事方式である、寝転んでの晩餐です!
日本人からしたら、まぁお行儀の悪い!と言いたくなる構図だったことでしょう。しかし日本の常識=世界の常識ではないのです。
聖餐式ではパンとブドウ酒をとって、食べたり飲んだりするわけですが、
パンはこれから十字架によってさかれるイエス様の体を、
ブドウ酒は十字架によって流されるイエス様の血を意味し、
これを見るたびに私を覚えてこれを行いなさいと言われたところからきました。
すべての教会で定期的に、また教会によっては毎週行うところもあります。
内灘聖書教会の聖餐式は第2礼拝と第3礼拝で少し違います。ブドウ酒のかわりにぶどうジュース、そこは一緒です。
では、なにがちがうのかというと…
第2礼拝ではパンは食パンを切ったものを配り、第3礼拝では平べったいナンのような一つのパンを回して、
それぞれがちぎって食べている、というところです。
私がヨーロッパの教会に行った時には、本物のブドウ酒を一つの器で一口ずつ回し飲みしたのを覚えています
一口飲んで、濡れ布巾でぬぐい次の人にまわしました。
そして先日、インドネシアのクリスチャンの集まりにおいても聖餐式がなされたのですが、
そこでは無味無臭のソフトせんべいのようなものと小さいゼリーの容器のようなものに入れられたブドウ酒が出てきました。
世界各国、その教会によって個性があって様々な聖餐式ですが、大事なのは、何を食べるか、飲むか、ではなく
そのパンとぶどう酒が何を象徴しているか、であるということをしみじみ思わされるひと時となりました
聖餐式は心静めて自分の生活を振り返りつつ、神様の前に出る時。私はいつもそのように思っています。
自分の罪の為に、時には自分でも気づいていない罪のためにもイエス様は十字架で身代わりになったんだなぁ~と。
10月23日の礼拝メッセージの中で、酒井牧師が訴えられたイエス様の「罪状」についてふれていますが、対ユダヤ人と対ローマ人向けではその罪状が違う
ということろに、なんでもいいからイエスをどうにかしたい!という汚い思いを感じました。倫理と公正はどこに?と。
旧約聖書の、イザヤ書53章4~5節ではこのように書かれています。
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、わたしたちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、わたしたちは癒された。」
さぁ、まだイエス様を信じていない人はぜひ教会へ!そしてともに聖餐にあずかる祝福を喜びましょう!!
あなたは神様が命を懸けたほどに愛されていますよー!!