突然ですが、私は某缶コーヒーの昔のCMで使っていたフレーズ、「このろくでもない、素晴らしき世界」が好きです☺
ネット社会の急速な普及のデメリット、コロナ禍、格差社会、孤立社会を見ると、
昨今は人と人との繋がりが希薄であるといわれる訳ですが、某缶コーヒーのCMみたいに、
「このろくでもない、素晴らしき世界」と思う瞬間が多々あります。
たとえば先日、某通販サイトから届いた段ボール箱を見た時。
いいね!某通販サイトさん☺
誰の案か知りませんが、きっと食事のお会計の時も、コンビニのお会計の時も一声かける人なんだろうなぁ~。
働く方々が気持ちよく働けたら素敵ですよね。
ほんと、素敵な世界だわ。コロナ禍でもこういうの見ると、私もがんばろ、ってなる。
ちなみに内灘聖書教会には毎日宅配業者の方々が出入りしますw
コロナ禍でもいつも荷物を届けてくださる各種宅配業者のみなさん、本当にありがとう!
ほかにも運転していて道を譲ったときにハザードでの感謝の表現とか、
バスの運転手やトラックの運転手がすれ違う時に手でさりげなく挨拶してたりとか、
今はもう乗る事はありませんが、タクシーの運転手さんとの何気ない会話とか、結構好きでした笑
今日は3.11から10年、ということで、きっと多くの方が思い出すのはあの日の恐怖や悲しみ。
10年たってもまだ助けを必要な人がいることを覚えて、できることをしていきたいですね。
10年前、教会に向かう電車の中で、前に立っていた女子高生二人が被災者の方々を思っての会話をしているのを聞いて、
「(日本の若者がこうなら)日本はまだまだ捨てたもんじゃないな」と思い、ほっこりした気持ちで女子高生を見ていたあの日を思い出します。
あの女子高生たちも今はもう大人になっているんだよなぁと思うと
赤の他人なのに、どんな大人になっているだろう?元気かな?と考えてしまいます笑
ネット社会は度々炎上(悪い意味で有名になり、非難轟轟)することがあります。
不用意な発言や言動に対して、悪いことは悪いと指摘したり言うのはまぁ良いとして(言い方も大事だけど)、
必要以上に誹謗中傷して人を貶めたり、人の不幸を喜んだり、高慢になるよりも
、絶対ほっこりした話題で優しい気持ちになる方が私たちの心身に良いと思うんです。
Twitterとかでバズる(いい意味で有名になる、良い印象)内容は、往々にして些細なやさしさだったりするんですよね~。
ごく普通のことが幸せに感じられる、これって本当に幸せな事なんですよね。
一生懸命になる方向を顧みることは大事だな~と思います。
聖書の中で、イエス様はこのように発言しています。
「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎをえます。」マタイの福音書11章29節
本当に柔和でへりくだったイエス様だからこその、この名言。
こんな事、わたしが言おうもんなら失笑もので、よう言うわ、とか、どの口が…とか言われるでしょうが、
こんな事言える人物は歴史上イエス様だけでしょう。
聖書を読むとわかるのですが、どんなにののしられても、さげすまれても、自分の為に神の子としての力を誇示することは一切なかったイエス様。イエス様の力はいつも誰かのため、神様の栄光のため、でした。
このイエス様から日々学びましょう!私もまだまだ学びが足りん!です笑
一緒にイエスに倣うものとなって、たましいに平安を得ようじゃないか✨👀
被災地を覚えて、その地の癒しと慰めの為に祈りたいと思います。