みなさんこんにちは。

相変わらず過ごしやすい気温が続いている石川県ですが、今日も安定の雨空です☂

もうすぐ8月も終わり…時間が経つのは早いですね!県内の高校はすでに始まっているところもあるのだとか。

夏休み後のコロナの広がりに注目ですね^^;

 

 

さてさて、今日は聖書と食べ物シリーズ第二弾でございます。

内灘聖書教会には料理上手な方や、お菓子作りのプロ!?みたいな方がたくさんおられます。

先日もおいしい梅シロップを頂きまして、炭酸で割って飲むのが毎日のささやかな楽しみです🍹

イースターやクリスマスイブのコンサートなど、愛餐会ができないのが本当に本当にほんとーーーーーに残念です(;;)

ところで、私はお菓子作りに興味はあるものの、道具や材料をそろえたり、事前に粉はふるいにかけるとか、

繊細な作業が多いので、あこがれつつも全くお菓子は作りません笑🍪🍰🍩

しかし、最近のネット社会はすごいので、「簡単★材料三つ!」みたいなお菓子の作り方動画なんかもたくさんあると、

私でもできそう!と突発的に作りたくなるのです。

でも、ある一文があると、「いや、簡単じゃないじゃん」と思ってあっさり匙を投げます🥄

その一文とは…「卵黄、卵白」…そう、卵そのままつかっちゃだめなんかーい!!🥚

と、この表記を見るたびに思いますw

卵の黄身と白身を分けるってやった事ない人からすれば、難しそう…と思っちゃうんです。(簡単だよ★みたいに言われますがw)

あと卵にもサイズがあるらしい…険しき道のりだ笑

しかし、卵を卵黄と卵白にわけると本当に幅広いお菓子が作れるのもまた事実なんですよね~。

聖書にこんな言葉があるのをご存知でしょうか?

「味のない物は塩なしに食べられるだろうか。卵の白身に味があるだろうか。」ヨブ記6章6節

そう、聖書には卵の白身がでてくるんです!

日本人としては卵かけご飯は最高に大好きですが、黄身があってこそ。白身だけでご飯は…たべないですよね。

この言葉は、聖書の人物の中でも最高の評価をいただいているといっても過言ではないヨブという誠実で直ぐな心の持ち主の言葉です。

ここだけ見ると、当時から生卵ってあったん!?とか、ヨブ、白身だけ食べたことあんの?とか、ヨブって美食家なの?的な印象ですが、

彼のこの言葉は自身が絶望の中に置かれている時に、友人から的外れな声掛けをされた事に対して、

味のない物はまずいし食べたくないし、食べたとしても食べ続けるのは無理。

それと同じように、あなたの言葉は的外れでわたしにとってはなんの意味もなく、心に響かないよ、受け入れられないよという事の比喩なのです。

絶望の中にいてもこういう比喩的表現ができちゃうあたり、ヨブさんて凄い教養あるよね(゜-゜)

ヨブの友人のように、誰かを慰めたり、諭したりする経験はだれしもがもっていると思います。

そして時に綺麗ごとや心に思ってないことも平気で言えます。

しかし、人の言葉はいい加減で、いずれ消える、変わるもので、正しいように思えて正しくない事があります。

でも味のない白身でも、砂糖や塩が加わると最高の食材になるように、私たちの言葉が人に影響を与える、響く、確かな言葉になるためには

決して変わらない、そして確かで真実な神の言葉によって味付けされる必要があるんですよね。

聖書には、「世の塩になりなさい」とのイエス様の言葉があります。

神を知る事から、神の言葉から塩気を頂いて、白身をおいしくするような味のある人になりたいものですね☺🧂🥚