みなさんこんにちはー!猛暑が続いていますね…コロナ渦でマスク着用を耐えなければならないなんて!

皆さん、水分補給はしっかりお取りくださいませませ。

さて、今日はヨナ書こぼれ話①とタイトルつけさせていただきました。

オンラインでの礼拝配信をはじめとし、祈り会も録画してYou tubeにて公開中です。

今回は私、根上の祈り会メッセージである「ヨナ書を読もう」シリーズから(現在3章まで済)、

メッセージの中では語らなかったこぼれ話をしてみたいと思います。

ヨナ書と言えば、魚のお腹に3日3晩という印象が大きい。皆さん、それ以外の印象ってなんかありますか?( ´艸`)

意外に知っているようで知っていない、そんな書なのではないかなと思います。

4章構成で短い上に物語調なのでとても読みやすいですが、ヨナ書を通読するポイントは、「何目線で読むか」これにつきます。

物語調であるが故に、わたしたちはつい「物語」を読んでいる気分になりがちだと思うんです。

でも、ヨナ書に出てくるヨナの姿に、ヨナとニネベに起こった事を聖書を通して読んでいたイスラエルの民の姿に目をとめ、

そこに現代を生きる自分の姿を重ねて読んで欲しい、それがこのヨナ書です。

神学校時代、旧約聖書研究の授業で、このヨナ書がレポート課題として出されました。

ヨナ書を読んで、「ヨナ書の主題」を書く課題でした。

今でもちょっと後悔しているのですが、やはり注解書から手をつけてしまうと仲介書の結論が頭をちらついて、

註解書の語る事に無意識に合わせにいってしまうものなんですよねー。

ですので、今はメッセージを準備するときには、まず自分で聖書を読みこむ事を大事にしています。何回も何回も。

そして言語の持つ意味や語源を調べ、そのうえで註解書や脚注を開くようにしています。

話を神学校時代に戻しますが、この課題を出したわたしの尊敬する教授のレポート返しの時間を今でも思い出します。

おそらく全生徒が、そのレポートの中で、2章のヨナの姿について、「神からの召命を無視して逃亡したことを悔い改めている」と書いていたのでしょう、

しかし、教授ははっきりと言いました。「ヨナは悔い改めてなんかいない!」

衝撃でした。笑

大学の面白いところはこういう所だと思うのです!

大学は、教授によって個性がある。そして学生はその先生の見解を軸に考察したり、反論したり、理論づけたりするのです。

他の教授の授業でも、意がある人はレポートで私を納得させてください!と言っていた教授もいます。

教えられたことを自分で考えもしないで鵜のみにはしない、それが大学。この尊敬する先生方にはたくさん新たな視点を頂きました。

新鮮で、時にはぎょっとして、でも面白い。聖書を学ぶことの楽しさ、すばらしさを教えて頂きました。

高校時代勉強嫌いだった私は、大学で初めて勉強を楽しいと思いました。(無遅刻無欠席!そして席はもちろん一番前!高校時代はありえない!)

ああ、もう一度この課題をやってみたい…!!笑

という、ヨナ書に紐づく私の個人の思い出話でしたー。次回はヨナ書の中身からのこぼれ話をしたいと思います。お楽しみに。

え?結局ヨナは悔い改めたのか、そうじゃないのかって?

私の出した結論は…秘密です❤